現代の医学の進歩はめざましく、まさに日進月歩。
多くの研究者、医療者、企業が粉骨砕身し、技術を生み出し、また、多くの患者さんが被験者としてその開発に関わってきました。まさに、人類の努力の結晶とも言えるものです。
その軌跡を心臓血管外科に関与したものを中心にのんびりとまとめていきたいと思います。
紀元前4000~3000年頃
世界各地で文明が出現。文字が発明されたため、医学に関わる記録も残されるようになった。
近代医学の源流となる西洋医学は古代ギリシャから始まったが、その他の医学(アーユル・ヴェーダ、中国伝統医学、ユナニ医学)は現在も各国の伝統医学として継承されている。
この時期の医学は、祭祀的、宗教的な要素も含まれていたが、経験に基づく植物薬処方や外傷に対しての処置は当時から行われていた。
また、疾患=身体症状として考えられていた。
エジプトにおいては、ミイラの作成のために人体解剖の理解が必要であり、プトレマイオス朝の時代にヘロフィロスとエラシストラトスによって初めて人体解剖が行われた。
紀元前400年頃 (古代ギリシャ)
医学の祖 ヒポクラテスが活躍。ヒポクラテス本人、多くの弟子たちによってヒポクラテス集典が作られ、以降、医学教材の中核に盛り込まれるようになった。
彼らは、病気の原因は4種類の基本性質(熱/冷、湿/乾)、4種類の体液(血液[温・湿]、黄胆汁[温・乾]、黒胆汁[冷・乾]、粘液[冷・湿])の不均衡+外的要因により生じると考え、超自然ではなく、自然の中に病気の原因を求めようとした。
血液に滞留した悪性体液の除去のために瀉血が行われており、安全に行うために動脈・静脈の解剖学的知識が必要であった。
2世紀 (古代ギリシャ→共和政ローマ→三頭政治→帝政ローマ)
医師の君主 ガレノスが古代の医学文献をまとめ、動物の詳細な解剖を行って膨大な著作を残し、西洋医学の礎を築いた。
解剖に関しては、非常に詳細な観察・実験が行われており、心臓は「胸部の主要臓器であり、心臓から出た動脈は生命精気を含む動脈血を全身に送ることで、暖かさを保持し、魂的な精気を養う」と理解されていた。
また、彼は、疾患=身体の構造的な異常、症状=身体の機能的な異常、徴候=疾患および症状を診断するのに役立つ所見とそれぞれを区別していた。
3-5世紀 (ゲルマン民族大移動による帝政ローマ崩壊→中世)
3世紀にローマは財政難に陥り、ゲルマン民族大移動に伴って異民族がローマ内に流入するようになった。
そして、テオドシウス帝がキリスト教を国教化した後、ローマ帝国を東西に分割し、ついに帝政ローマは崩壊した。
ローマ帝国の東西への分割は、宗教的な分裂にもつながり、ローマ=カトリックを保護する西ローマ帝国とギリシャ正教を保護する東ローマ帝国の対立という構図となった。
5世紀に西ローマ帝国は滅亡し、帝政ローマの文明は東ローマ帝国(=ビザンツ帝国)に継承された。
一方で、西ローマ帝国の滅亡により国の保護を失ったローマ=カトリックは、ゲルマン民族を改宗し、フランク帝国や神聖ローマ帝国の国教となった。
これに伴い、修道院や教会、聖地といった信仰の場で、治療が行われるようになった。
ギリシャ、ローマ時代に蓄積された医学理論は、聖書の記述に従属するものとして扱われ、病気は人間の罪や堕落によって生じると捉えられていた。また、この頃にギリシャ語で記載されていた医学書がラテン語に翻訳されるようになっていった。
1761年
Giovanni Battista Morgagniが急性大動脈解離の死亡例3例を報告した。
1953年
John Heysham Gibbonが人工心肺装置使用下で心房中隔欠損の根治術に世界で初めて成功した。
1954年
Michael Ellis DeBakeyとDenton Arthur Cooleyが人工心肺装置使用下で上行大動脈置換術に世界で初めて成功した。
1967年
新谷郁夫が本邦で初めて人工心肺装置使用下で上行大動脈置換術に成功した。
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